椅子が好きだ。
休日は基本的に椅子に座りっぱなしでいる。体重を均等に預けている感覚が、カチッとハマるのが良い。
しかしベッドでは駄目なのだ。上体は起こしておきたいし、寝返りを許してしまう空間の“遊び”が落ち着かない。
だからこうして今も自室の安楽椅子に腰かけたまま動かないでいるのは椅子が好きなだけであって、夏バテなどでは無いはずである。
先日、ソファベッドを買い替えた。
その際、使わなくなったソファベッドと一緒に他の粗大ごみも一度に処分した。
その中には長年愛用した巨大な座椅子も含まれていた。背もたれ付きのなかなかのサイズであったため破棄後の部屋は急に広く感じられた。失恋にも似た気持ちである。
座椅子が無くなり、部屋が広くなる。どこか物足りなくなり、そうすると椅子が欲しくなる。やはりおれは椅子が好きなのだ。
インテリアに絶対の拘りはないが、同じ系統で固めるよりも折角であれば色々な座り心地の椅子があれば楽しいと思う。
久しぶりに外に出て買い物にでも行くか。
そうだ、IKEAという大型家具店に行ってみよう。スウェーデン雑貨中心の店だったはずなので、我が家のものとはまた違った毛色の家具と出会えるかもしれない。
調べてみると都内のIKEAは渋谷と立川、その他には南船橋や横浜などにあるらしい。微妙に距離がある。
今日は休日。こうして椅子に座りながら時間を無駄にしてもしょうがないので少し遠い立川店まで遠出してみることにした。実は都内のそっち方面に足を踏み入れたことがほとんどないのだ。夏休みの大冒険である。
◇
立川までは片道1時間以上かかった。電車に揺られながら小説を読んでいたが90ページも進んだ。
個人的に一番読書に集中できるのは電車の中である。
外は快晴。澄み渡る青空と夏を思わせる緑。遠くに見える巨大な雲の白さと視界を照らす輝かしい太陽。そして地獄のような暑さであった。
目的地であるIKEAは駅から徒歩圏内との事だったが、それでもこの気温である。歩行者がこぞって日陰のエリアを通行するおかげで、広いはずの道路に交通規制がかかっているようであった。おれも同じように日陰へルート取りしながら、道中に挟まるコンビニやブックオフを経由して体温調節を行った。そして約15分後、IKEAに到着。

これまでにIKEAは2回ほどしか足を踏み入れたことがなく、その度にこの巨大な倉庫のような構えと、迷宮を思わせる道形に驚かされる。
涼みながら、順路に沿ってお目当ての椅子のフロアまで突き進む。
椅子のフロアは、当然だが椅子が多くてわくわくした。自宅にも置いてあるようなウィングチェアや、お洒落な見た目のラウンジチェアなど、ひと通り試しに座ってまわった。中でも一番心惹かれたのがロッキングチェアだ。
ロッキングチェアとは、ゆりかごみたいに足場が揺れる椅子の事だ。
あの、暖炉の前でおばあさんが編み物してる時の椅子である。
タグを見てチェックする。IKEAの『ポエング』というシリーズらしい。かわいい。
買い物の最後に倉庫から商品を見つけてレジまで持っていく必要があるため陳列棚の番号を控えておく。
その後も色々なインテリアを見ながら順路に沿って出口へ向かう。最後のエリアには生活雑貨・小物が置いてあり、このまま手ぶらで倉庫に向かうのも何だかなと思い、いい匂いのアロマキャンドル(小)を手に取り商品倉庫へ向かう。
商品倉庫は超巨大な軍事施設のようで、今までのエリアの華やかさと打って変わって無骨で色気のない空間だった。
先ほど控えた番号の陳列棚を探し、鉄骨の迷路を探索する。
そして目当ての商品のダンボールの前に到着し、5秒間静止する。
あれ?おれどうやって持って帰るつもり?
嗚呼、何といふ事だろう
おれは莫迦か。余りにも巫山戯ている。
そうなのだ。今日は電車で来ているのだ。車じゃあない。しかも立川。片道1時間。小説90ページ。
まぁ、宅配サービスなんかもやっているのだろうが……到着日時やらの調整が面倒くさい。
そもそも配送であれば初めからオンラインストアを利用すればいいよね?はい、そうです。
試しにダンボールを持ち上げてみようとしてみる。
ふんッ!
「重ッッ ……♡」
これを炎天下、運びながら電車に揺られて1時間?嘘だね。
超軽い素材でできていることに賭けて持ってみたが何の解決にもならなかった。ただエロい声を出して絶望しただけである。
巨大な陳列棚の鉄骨群に囲まれひとり立ち尽くす。さっきまでウキウキでレジに向かっていたおれの精神状態は、華やかな店内の雰囲気が見せていた幻想であったのか如く、今は商品倉庫と同様灰色の影を落としている。右手に握りしめていたアロマキャンドルもすっかり色を落とし……
あっアロマキャンドル

これ買わなきゃ
巨大なダンボールをカートで押してレジへ向かう家族がすぐ後ろを通り過ぎる。
周りを見渡すと皆が大型家具を抱えレジへ長蛇の列を形成しに向かっているではないか!
おれは手のひらサイズのアロマキャンドルを握りしめ列へと向かう。気まずい。
俺だけ明らかに列の幅が薄い。ほぼ手ぶらなのだから当然だ。すぐ前の客の家族だと思われている。
会計はセルフレジで行った。
どの客よりも早かった。
99円だった。
ほぼ万引きの速度だった。
なんか申し訳なかったのでIKEAの出口で売られているソフトクリーム(¥150)を買って帰った。

外に出るとそこはやはり、果てしない青空が広がっていた。
店内の冷房と外気の熱風に挟まれ、なんだかぬるい。

数時間ほどIKEAで過ごしたが戦利品はというと、いい匂いの小瓶ひとつである。
はじめてのおつかい過ぎる。

駅に向かうまで暇なので手の中で転がしながら歩いた。
この暑さの中、無駄な考え事をして脳をショートさせたくない。
歩きながらおててにベリーの香りを纏っていく。嬉しい。

そのまま歩き続け、駅へと向かう。
うーむ、このまま帰ろうか……
◇
せっかくの外出の戦利品が99円の小物というのも寂しい。
そこで帰宅途中にある観光地へ寄ることにした。
その地の名は浅草である。
墨田区在住の自分としては行きやすい場所にある浅草ではあるが、あまり積極的に降車したことが無かったので休日の散歩にはちょうどいい観光になるだろう。
しかしまぁ、外国人観光客の多さが桁違いである。さすが浅草。
大通りでは人力車の呼び込みがものすごい勢いで行われているし、扇子を煽ぐ和装の外国人も多い。
いいな。
さっきまでスウェーデン空間にいた反動からか、和の装いやグッズの格好良さに気付かされた。
テキトーに店の並ぶ通りをブラブラと見てまわる。
ちりりりん、りりりりん……!
通りの角に、大量の風鈴が吊られている店があった。
その近くで外国人観光客が柄を見て楽しんでいる。
どうやらここは和食器屋のようである。外を歩くのも暑さで限界だったし、風鈴の音に誘われる形で入店。
大量の風鈴をくぐり、手動の引き戸を引いて中に入る。引き戸には『ドアを閉めてください!』と日英同時表記で書いてある。手動だと開けっ放しにする人も多いのだろう。はいはい、と静かに閉める。
店内の間取りは大きなL字型のようであり、引き戸は「Lの字」の右下に位置している。
レジ奥に佇む店主は「L」のてっぺんの位置にいた。
そうか。引き戸は店主の位置からは死角になっているから引き戸に強い語感でメモを貼って客に閉扉を促しているわけだ。
と、そんなことを考え店内で涼みながら食器を見てまわる。
そういえばうちの食器コレクションは全て洋食器だったな、と思い急に和食器が欲しくなる。冒頭でも言ったが、おれにはインテリア統一美の意識はなく、むしろ色々な種類のコレクションを置いておきたい派なのだ。

箸置き、フリーカップ、とっくり、茶碗……と見ているうちに最後の外国人客が退店したので店内には俺ひとりの状態になってしまった。おれはひと通り品物を見終わっていたし、欲しいものの目星も付け終わっていたので店主に声をかける。
「この、茶器揃は棚に出てる分で全部ですか」
「はい、これらだけで御座います」
「じゃあこの5客セット買います」
「毎度」
店主がレジまで品物の入った木箱を持って行くと、もう一人の店員が奥から現れた。中身の確認と包装作業の手伝いに来たようだ。すると店主がその店員に向かって
「戸口が開いているようだから、先に閉めてきておくれ」
と言った。
店員はそのまま直進し、L字型の角を曲がり我々の死角へと消えた。そして戸口を閉めたと思われる時間を経てレジ内に戻ってきた。
おれはその様子を少し見ていた。
……不思議だ。
なぜ店主は、この場所から死角であるはずの戸口の開/閉を判断できたのだろう。
「中身、こちらでお間違いありませんか」
そう思考を巡らせているうちに品物の状態確認を促された。
「急須の上手は折り曲げれば付きますから」
とパーツを見せて木箱に入れてくれた。
そのまま素早い包装で木箱を包み、紙袋に入れる。横では先ほどの店員がレジ操作をし、会計を始める。
……考える。
店内にカーブミラー等は無かった。やはり戸口はレジから完全に死角である。つまり、見えないはずだ。
店主は超感覚でも使ったのだろうか。見えざるものを、どう見たか。
……いや、店主はやはり見ていなかったはずだ。
となると、別の感覚を頼りに────────────
あぁ、なるほど。
「こちら、お控えで御座います」
静かな店内に店員の声が響く。
レシートと商品を受け取る。
◇
「ありがとうございました」
おれは紙袋を提げ、戸口へと向かう。
店主が戸口の状態を判断した方法は実にシンプルだった。
視覚情報が使えないなら、別の感覚を使えばいい。
戸口を開ける。
ちりりりん、りりりりん……!
そこにはやはり、大量の風鈴が揺れていた。
戸口が開いていれば風鈴の音が店内にまで聞こえる。閉まっていれば店内は静かなのだ。
初めて訪れたおれには対して気にならなかったが、ずっと店番をしている店主は大量の風鈴の音の聞こえ方で戸口の状態が判ったのだろう。ましてや客がおれ一人の店内であれば、雑談などがない分その聞こえ方はより顕著であったはずだ。
なんてことはない、日常の謎なんてものは実にシンプルなのだ。
すっきりした気持ちで最寄りの駅まで帰る。
浅草駅から帰る途中、IKEAのマンゴーソフト(¥150)が左足に垂れていたことが判明した。

これまで全く気が付かなかった。浅草は地下鉄であるから上り階段で左足をあげた時に気が付いたのだ。
──────完全なる死角。見えざるものを見るにはどうしたらよいのか。
店主、教えてくれ。
◇
帰ってから早速急須で緑茶を淹れてみた。
閉め切った自室に冷気を満たし、熱い茶を飲む。
うん、いい夏かもしれない。

ほっとひと息つく。暑い日の外出はなかなか疲れた。
この夏は体力をつけないと乗り切れる気がしない。
椅子に座ってバテている場合ではないのだ。
スウェーデン雑貨をみて、日本食器を買って帰ってきた。
このまま日本茶を飲みそうめんでも啜ろうもんなら落ち着いた夏の休日に納まるだろうが、それでは力が付かない。

休日ってのは、こういうことだろう!
夏バテなんてダサいことにはならないよう爆食する!
スウェーデン→日本→と来たら最後はアメリカンにピザパーティで締めてやる
インテリア同様、俺の生活スタイルにも統一美の意識はないのだ
座椅子を処分したことで広くなった自室でひとり、ピザを爆食する。
すこし、寂しい。
寂しいと、おれを包み込んでくれる存在の幻影を求めてしまう……
そう、おれの身体を安心して預けられる──────
──────やはり椅子が欲しいのだ。
