ミッシングリンクとは、生物の進化過程を連なる鎖として見た時に、連続性が欠けた部分を指し、祖先群と子孫群の間にいるであろう進化の中間期にあたる生物・化石が見つかっていない状況を指す語。失われた環とも。
また、ミステリにおいては“一見無関係な一連の事件に隠された共通項から連続性を見出す”という意味で用いられる。
◇事件編◇
夜、白い服を脱いである事に気が付く。あれ?
おかしな場所に赤いシミが付いている。
シャツの背面、左肩に近い首元あたりだ。
ケチャップのシミ……にしては色が薄い。
少しオレンジに近い赤で、どちらかというとパスタソースの類に見える。指で擦ると少しシミが伸びた。
今日付いたかのように新しい。
昼食にナスとトマトのパスタを食べた。それが跳ねたのだろうか?
一体どんな跳ね方をしたらTシャツの背面に飛び散るのか。
シャツを前後逆に着用していたとか?
それなら食事中首元までパスタソースが飛んでしまったというのも納得できるが……
……それはあまり考えられない。着る時に毎回タグを見て確認してるし、今日も背面にタグがあるのを確認したはずだ。
ではどうして────いや、待てよ。
そもそも食事中、俺は白いTシャツをパスタソースから守る為に脱いでいたはずだ。
トマトソースのパスタを真っ白な服で食べるほど俺はアホではない。
俺はスマートに上裸で食事をしていたのだ。白いTシャツはパスタソースの射程圏外である隣の部屋に移動させていた。食事中に付着する可能性は限りなくゼロに近い。
では食事中ではなく食後に付着したのか?
この日はずっとゲームをしたり読書をしたり、絵を描いたりしていた。外出は一切していない。
食前に付着したとも考えにくい。
うん……。
気になってきた。眠れないかもしれない。
とりあえずこのシミを洗剤で洗うのが先か。
時計を見る。23時ごろ。次の日は仕事がある。
さっさと寝たい。
◇推理編◇
シンクにある食器用洗剤を数滴垂らし、シミのある場所をゴシゴシ擦る。
その後Tシャツ全体をビチャビチャに濡らし軽く洗浄する。

(写真では見やすいように彩度をいじっているが)目立たないくらいには汚れが落ちた。
ランドリーバスケットに絞ったTシャツを丸めて放り込み、赤いシミの謎について再度考えてみる。
一度情報を整理してみよう。
今日着ていた白いTシャツの背面の首元に赤いシミが付いていた。
おそらく昼食のパスタソースだろう。
普通ならあまり付かない様な場所にシミが付いている事に加え、食事中Tシャツは着用せず隣の部屋に移動させていた。
この赤いシミは擦ると薄く伸びたことから、今日付着したものだと思われる。
このシミはいつ、どこでできたのか。
まず、初めに出した「前後逆に着ていた説」から崩していく。
実際には思い違いで服を着ていたとか?
いや……確かに、脱いだな。
それにもし実際に着ていたとしても、首元の1箇所だけに跳ねたとは考えにくい。もっと跳ねるんじゃない?
あと裏にタグが来ている事を確認した覚えもあるし。実際には着ていた、としても跳ねるのはTシャツの前面だろう。
では、「ずっと前のシミだった説」
これもないと思う。上に書いた通り指で擦ると広がったし、そこまで乾いていなかった。
今日のものと考えてよさそうだ。
では食事以外でシミがつきそうな行動がなかったか振り返ってみよう。
今日はゲームをしたり、絵を描いたり、読書をしたりした。
そうだ、絵を描いたのだ。このシミは絵の具だったのではないか?
一瞬そう思いキャンバスに目をやり、違う事に気がつく。

絵の中に赤色は使われていない。
赤でなくとも暖色系の色といえば影の部分の茶色が近いが、残念ながら今日は青と黒くらいしか使っていない。
そもそも油絵具である為、シンクで手洗いをした程度でそう簡単に落ちるものでもないのだ。
この時点で絵の具ではないのは明らかだ。
他には……ゲームと読書か。
プレイしたゲームは『Deltarune chapter3』、読んだ本は桜庭一樹の『荒野』。どちらもめちゃくちゃ楽しかった。


『Deltarune』は待望の続編という事で朝から熱中してプレイしていた。『荒野』は自分としては珍しい青春恋愛小説だ。まだ途中だがめちゃめちゃ面白い。興奮して鼻血が出そうだ。
……血?
そうか、このシミは血ではないか?
自分の鼻、手、足、首元……ひと通り不審な傷痕などが無いか検めてみるが、
どこにもそんな痕はない。
血痕でもなさそうだ。
絵の具でも、血でもない……。
では、例えばこういうのはどうだろう。
パスタソースや血など、シミになりうるモノが椅子についていた可能性。
部屋の中の椅子を見回してみた。
しかし今日使用した椅子で、背もたれに首元が触れるものはない。
この可能性も無さそうだ。
ある程度可能性は出し尽くしたように思う。にもかかわらずこれといった答えを見つけ出せていない。
手札のカードは尽きてしまった。
何か、見落としてはいないか。
時計を見る。もうすぐ日付が変わる。
とりあえずベッドに入る事にする。
その時、ベッドサイドのデッキケースが目に入った。

う〜ん…モノは試しか……
デッキを開いて、テキトーに1枚カードを引いた。
出たのは大アルカナの0番【愚者】のカードだった。
タロットカードナンバーでいうところの「最初の0枚目」である。

◇ 解決 解釈編 ◇
【愚者】のタロット。意味は『自由』『型にハマらない』。
良いだろう。『型にハマらない』『自由』な発想でこの謎を解決してやる。
占いってヤツが本物だとしたら、このタロットカードが事件解決のヒントを与えてくれているはずだ。図から読み取ってみる。
この図は何を示している?

天を見上げた少年。手には白い花。足元が崖になっている事に気づいていない。このまま進むと危ない。お供の犬だけが崖に気が付いている。
タロットカードにおける動物は「潜在的な意識を示す」とどこかで読んだ気がする。犬の象徴は社会性。
俺もこのまま夜更かしをすると明日の出勤に響く。その事を警告しているのだろうか。早めに終わらせよう。
直感的に、だが少年の向いている方向が気になった。まるで何かヒントを指し示しているような……
天を見上げる少年……俺も天井を見上げてみる。
例えば上からインクのような、シミになりそうなモノが落ちてきたとしたらどうだろう。
夏といえば怪談。天井から血が滴り落ちてきて、首元に……みたいな。
天井を見上げるがそんな痕跡はなかった。当たり前だ。
【愚者】に肖って自由な発想をしすぎてしまった。もう少し現実的な線で考えてみる。
ヒントはやはり少年の向いている方向か。そんな気がする。
天井でないとすれば……空中?
空中。
……。
そうか。
夏といえば怪談などではない。夏を代表する、もっと身近なモノがあるではないか。
しかもそれは空中を飛来し「赤」をも持っている。
蚊だ。
吸い血を蓄えた蚊が俺の首元に止まり、何らかの方法で潰してしまった。
Tシャツを着ていた時であれば食前か食後だろう。ついさっきかもしれない。
首元の赤いシミは、蚊を潰した痕だった。
これでようやくぐっすり眠れる……。
【愚者】のカードは、上を向く少年から「空中」のヒントを与えてくれた。
シミの正体は、空中から飛来した蚊を寝転がった際に【ぐしゃっと】押し潰したものだった……
ベッドに横になり目を閉じる。時刻は0時15分。
……。
……そんなことがあり得るのか??
窓は開いていない。
今日は外出をしていない。
そして何より今の今まで蚊が部屋にいたことを感知していない。虫刺されの痕すらない。
それなのに、潰せば赤いシミができるほど吸い血を蓄えた蚊、だと?
絶対に違う。
寝たままの姿勢でもう一度【愚者】のタロットに手を伸ばす。
やはり占いなどアテにならない。俺はもう寝なければならないのだ。
カードを握る手に力が入る。目が血走っている。
こいつは真実に到達できない俺のことを【愚か者】と嘲笑っているのだ。

何が【愚者】だ。何がタロットだ。何が0番のカードだ。
……0番。
何かが引っかかった。
もしかして────
ヒントが、残ってるのか。
まだ、俺はこの【愚者】のカードを読み取れていないのかもしれない。
そう、0番。
このカードの特徴はまだあったはずだ。
【愚者】とはトランプで言うところのジョーカー。何にも縛られない『自由な』カードである。
そしてもうひとつ、唯一無二の特徴があるのだ。
【愚者】は大アルカナで唯一、動いている人物が描かれたカードだ。
ではどこへ?崖?いや、もっと大きく見る。左側へ、だ。
タロットにおいて、水平方向の軸は時間を表す。
左側は「過去」右側は「未来」という風にだ。
【愚者】は過去を見て、遡っている。
つまり、『過去を振り返れ』と?
しかしまだヒントとして完全ではない。一体何を振り返れというのだ。
その答えこそ『0番』。
“最初のカード”だ。
では、最初のカードを振り返ってみよう。
自分の用意した手札────つまり可能性のうち、最初に切ったカードは何だったか。
「Tシャツを前後逆に着ていた説」
真相はここに隠されているはずだ。考え直してみる。
この「前後逆に着ていた説」を崩したのは2つの証言だった。
①そもそも食事中はTシャツを着ていなかった。
②毎回タグを確認していた。
①に関しては、必ずしも食事中に付いたシミであるとは考えなくなった為、証言としては意味を為さない。
②に関しては俺自身の記憶に間違いがなければ確実な情報である。今までも前後逆に着たことなどない。
タグもしっかりと首の後ろをめくって確認している。
首の────後ろ?
「おかしな場所に赤いシミが付いている。シャツの背面、左肩に近い首元あたりだ。」
その場所こそ、俺がタグを確認する時に触れた場所ではないか。
俺は右利きであるため、通常右手でタグを確認する。つまり左肩の方からめくることになるわけだ。
シミの位置がシャツの背面首元、左肩付近にあったのもそういう事だったのか。

つまり……俺はパスタソースのついた指で、タグを確認し……その時にシミが────
いや、それだとおかしい。
俺が確認した時は「服を着た」時だ。
つまり朝、シャワーを浴びて着替えた時。
その時すでにパスタソースが指に付いていたとでもいうのか。
食事をする前だ、あり得ない。ましてやシャワー後だ。
あり得ない。
はずである。
……しかし。
俺はこの服を着るタイミングが2回あった。
なぜなら、①の証言「食事中に服を着ていなかった」からだ。
それは、食後に服をもう一度着た事を意味する。
俺は「毎回タグを確認していた」はずなので、その時もタグの確認をしているはずだ。
その時、背面の首元にシミがついた。
なぜこんな単純な事に気が付かなかったのだろうか。
悔やんでいる暇はない。
次は物証だ。
この仮説が正しければ、俺の右人差し指にソースがついていたという事になる。
ならば、タグを確認する前……服を着ている最中にソースが付着した痕跡を他にまだ見つけられるかもしれない。
例えば、服の内側。
右手についていたソースは右肩のあたりの内側についているはずだ。

俺はベッドから飛び出し、ランドリーバスケットの中で丸まっていたTシャツを引っ張り出した。
部屋の灯りをつけ、生地を裏返し証拠をくまなく探す。
あるはずなのだ。もうひとつ、赤いシミが。
いや、なければならない。
血眼になってTシャツをひっくり返し調べる。
しかし。
おかしい────なぜだ。
服を水浸しにした時、一緒に落ちてしまったのだろうか。そうだろう。
では、指で触れた場所をひとつずつ見てまわろう。指についていたのなら知らずに痕を残しているかもしれない。
シンクを調べる。ない。
トイレのドアを開ける。ない。
キッチンカウンター。ない。
どこかに、あるはずなのだ。
赤いシミが────タロットが示したヒントと真相を繋げる、最後の1ピースが……。
◇
時刻は2時をまわっていた。
丑三つ時に部屋の灯りが煌々と光る。
そこには充血した目で床を這いつくばる男がいた。
もう明日の予定など既に頭になかった。
頭の中はいつだって過去の出来事に向かい、未来を見ようともしない。
それどころか己の向かう先が断崖であることからも目を背けている。
後先を考えず行動する。もう引き返すことはできない。
シミはどこだ。助けてくれ。
滑稽。まるで愚者ではないか。