最近、休日が終わろうとするその夜に「一日を無駄にした」という後悔に押しつぶされそうになる。
社会人になってからというもの、仕事から帰ってくるなりだらし無く横になりスマホを眺めながら気絶するように眠りに落ちる日が増えた。
休日は休日で昼頃まで布団から出ないことは当たり前、これといった予定があるわけでもないので頻繁に外出はしない。特に寒波が押し寄せるこの季節では尚更だ。
今年に入ってから、自分の生活に新たな“変化”を感じていない事に気付く。
そして途端に押し寄せる後悔と焦り。
このままどうしようもなく続く一本道を突き進んでしまってよいのだろうか?
ふと周りを見渡してみる。
親友のひとりは新たな家族を授かり、私と同い年ながら親としての第一歩を踏み出した。
親友のひとりは新たな勤め先に身を移し、憧れの職業での輝かしい一歩を踏み出した。
それに比べ私は──
よそう。
こういうのは「ミッドライフ・クライシス」とかいうやつだ、周りと比べてもしょうがない。
かくいう自分もそこまで人生においての危機を感じているわけでもなく、冒頭で述べたような「後悔や焦り」はその日に対してのみ限定的に向けられているように思う。あくまで次の日から始まる仕事の日々に対しての心理的抵抗感と、存分に休日を謳歌できなかったことへの不満感が綯い交ぜになってそのような気分に陥っているのだ。
えらくのんびりしているが、私は今の状態でも人生に対しての絶望感などはなく、人並みに満喫できているというのは事実である。(男としての属性「目標に向かって突き進む、エネルギィ溢れる魅力」がなくても、だ)
先日、フォロワー(女子大生)からDMにておすすめの小説を紹介された。彼女曰く「先月の記事読んで、ミステリ好きそうだったから」との事である。ありがたい。
先月の記事は実際の身に起きた謎を解き明かすものだった。是非みんなにも読んでもらいたい。
おすすめされたのは浅瀬明の『卒業のための犯罪プラン』

早速購入して読んでみたが、なかなか面白かった。
登場人物の1人に、捻くれ者の引きこもりが登場しこんな主張を繰り広げる。
内容を(だいぶ)要約して少し紹介。
幸せとは、相対的である。何故なら人は“慣れる生き物”だからだ。
生活の変化や質の向上の時にこそ幸福を感じるが、その経験値や生活水準が一定になるにつれて段々幸福を感じなくなってくる。だから幸せとは絶対的なものではなく相対的に感じるものであるのだ。
しかし、一定の生活水準を保ちながら幸福であり続ける人もいる。それは変化や差を作るのが上手い人だ。日々の生活に巧みに刺激や違いを取り入れ、現状の豊かさに慣れにくくする。そうする事により、変化の際に感じる幸福を継続的に感じ取れるようになる。
つまり、「小さな違いがわかる人ほど豊かであり幸せ」なのだ。
◇
実は1月時点でも「何か新しい取り組みを」という計画を立てようとしてはいた。しかしまだ漠然としており、これといった目標を定められずにいた。
指原さんに軽く相談してみたところ「ぷりん」とだけ返って来た。
「ならば」と私はすぐに材料を買いに行き、その日のうちに人生初の菓子作りを経験した。

結果はというとなんとも言えぬ出来栄えだった。
全て材料を目分量で作ったにしては美味しく、味は申し分無い。しかし形が悪かった。

これではインスタにあげる気にもならない。インスタを開くと剣道部の後輩が結婚報告をしていた。眩しかった。いっそ不細工なプリンを隣にぶつけて調和をとってやろうか。
後輩にお祝いメッセージを送りひと息ついた。『今度飲みに行こう』…っと。
みんなが次のステージへと駒を進めるなか、外へも出ずに部屋で腐る日々。プリンの甘さが体に沁みていく。砂糖を入れすぎた。

そんなこんなで新しく挑戦したプリン作りだが、実はちょっとクオリティが悔しかった為、後日改めて作ったりした。結果は悲惨。一気に4つ作ったのが原因か、材料の配分が難しくまた形の悪いほぼドリンクのプリン液が出来てしまった。味は相変わらず美味いが。


なかなか奥が深いが、洗い物が増える点と材料を都度揃える手間を考慮し、しばらくプリン作りはやめる事に。
しかしなかなかにいい経験だった。何かに活かせたら良いのだが。
◇
最近新しくゲームを買った。発売前から気になっていたオカルトミステリーアドベンチャーの『都市伝説解体センター』だ。発売日には仕事で忙しかった為、次の日に購入。
これがとてつもなく面白かった。

2連休の初日だった為『都市伝説解体センター』をクリアした翌日、秋葉原の書泉ブックタワーで本を買った。
なんとキャンペーンで1000円ごとにランダムで『都市伝説解体センターオリジナルしおり』がもらえるというのだ。全6種らしいのでコンプするには最低でも6000円必要な計算だが、とりあえず1枚は手に入れようと思い小説コーナーをフラフラ。
そこでまさかの飛鳥部勝則コーナーを発見してしまった。
私が一番好きな小説と言っても過言では無い『堕天使拷問刑』の作者である。

そうだ、去年読んでぶっちぎりに面白かったが飛鳥部氏の作品はどれもプレミア本揃いで入手困難な為、他の作品を読めていなかったのだ。それがなんと書泉では復刊した数作品を扱っているというのだ。
たまらず限定版やサイン本まで3冊ほどまとめて購入。合計金額6700円。ひええ。キャンペーンのことなど忘れていたが、おかげで6種コンプリートできた。

急いで帰宅し、買った3冊のうち一番短い最新作『フィフス』をそのまま一気に読破。読み終わってから気がついたが外出時の帽子を被ったままだった。
やはりこの人の書く文章は美しく不気味で好きだ。15時を過ぎた遅い昼食をとった後にボーッとしていたが、する事がないので夕方ごろまで昼寝をした。休日終わりの俺に取り憑く後悔の念よ、これくらいは許してくれ。
そして起床後にもする事がなかった為もう1冊『殉教カテリナ車輪』を──これは飛鳥部氏のデビュー作だそうだが──最初の方だけ読んでみる。
……おもしろい。
コーヒーを淹れる。
もう少し読んでみる……
……顔を上げると22時をまわっていた。まずい、読み過ぎた。急いで夕食を用意する。明日は出勤日なのだ。あまり夜更かしはできない。読書をしていた為程よく眠気も感じるが、しかし……
続きが気になるほどにおもしろい。なんとしてでも結末をこの日のうちに……
そんな気持ちが勝ってしまい、眠くなる脳を起こす為に自室で立ち読みをして残りを読破した。ページを捲る手が止まらず、眠くなれば本を片手に部屋を歩きながら『殉教カテリナ車輪』を読み耽った。読み終えた時は0:00ちょうどだった。
次の日が出勤の日だというのに、その日の布団では一切の後悔の念が現れず、物語を読破した興奮を覚えながらもぐっすり眠る事ができた。
翌朝の目覚めも良かった。読み終えた『殉教カテリナ車輪』の宵越しの余韻を頭の中で反芻する。まさか1日で2冊も読み終えるとは。
いやしかし『堕天使拷問刑』といい『殉教カテリナ車輪』といい、筆者の美術に関する蘊蓄には舌を巻く。調べてみるとどうやら飛鳥部氏自身が画家でもあるそうで、作中に登場する絵画も本人が描いたものだという。
なるほどうまく謎が隠されたちょうど良い絵画を用意できたわけだ。
作中、学芸員の主人公が画家の身に起きた不可解な事件と死の真相を追う際に残された絵画を鍵に“図像学”なる知識を駆使して解明していくのだが、これが本当に面白い。
例えば「修道士の足が蹄というのは悪魔の変装を意味する」や「四性論による絵画の解釈」といった、当時の宗教画に多く見られた暗喩や、この絵が描かれたその背景を考察していくのだ。

私自身少し油絵を趣味にしていた時期があったり、美術関連の本を数冊持っていたり、美術に対して苦手意識はない方だ。
その“図像学”という分野は初めて知ったが、タロットカードの絵柄の解釈方法に似ている部分があると感じた。タロットカードも絵柄に宗教画に似た暗喩や隠された意味を多く持つ。この知識は占いにも役立てられそうだ。次の休日にでも関連書籍を漁ってみるか。
◇
次の休日に図書館へ行った。色々調べようと思っていたので外出前に1枚タロットカードを引いてみた。「星」のカードだった。これで少なくとも調べ物の対象は定まった。
占い関連の本と美術史や宗教画の関連書をテキトーに引っ張り出して読み比べてみる。


「星」のカードには裸の女性が大地と泉に瓶から水を注いでおり、その頭上には大きく光る星とその周りに7つの星が煌めくイラストが描かれている。カードの意味自体は「希望」「創造」「芸術」など。
「裸」は「ありのままの自分」「無垢な状態」を、「水」は「生命の象徴」「万物の源」をあらわしそこから「創造」という意味に繋がるのだそう。
天に描かれた星の数が気になったため、7つある意味を調べてみた。7つの星ということで初めは北斗七星を思い浮かべたが、形が違うので一旦無視することにする。
このカードは「創造」をあらわすと言ったが、そこに「7つ」を関連付けるならばキリストの教えで「神は7日で世界を創造した」というものがなかったか。少し調べてみるとユダヤ教では「神が6日間で世界を創造し、7日目に休息した」という教えがキリスト教に受け継がれ1週7日制が始まったとされたらしい。なるほど、それならばこの絵の女性が万物の創造作業に着手したことを暗示するイラストだというのも頷ける。
また、このように水面を覗き込む構図を見るとどうしても「ナルキッソス」という美少年のことが頭をよぎる。彼はギリシア神話に登場し、面白い逸話がある。
彼が水を飲もうと水面に顔を近づけると、中には絶世の美男子がいた。それは水面の反射に映ったナルキッソス自身なのだが、彼はひと目惚れしてしまい、そこから離れることができなくなった。そのまま彼はやせ細りついには餓死した。現代でも広く使われる「ナルシシズム」や「ナルシスト」は彼の名から来ているらしい。
これは余談だった。

カードの意味「芸術」とは何だろうと思ったが「とめどなく溢れる無限の水」が「湧き出るアイデア」を意味しているのではないかと推測した。占いの本を読んでみると「ピカッと光るひらめき」から「アイデア」や「発明」で「芸術」らしい。ふむ。
よく見ると背景に小さく鳥が描かれている。この鳥は何だろうと思い調べてみるとどうやら「トキ」らしい。そしてその本には驚くべきことに「このトキは『時の訪れ』を告げており、機が熟し成功に至る道が照らされたことをあらわしている」と書かれていた。「トキ」は「時の訪れ」を意味する……?急に馬鹿馬鹿しくなってきた。
慣れない研究をするのはもうよそう。
それからいろいろ関連図書を読んでみたが何となく、昔父の書斎で見たことがあるものが多かった。
聞いてみたらやはりたくさん持っていた。さすがだ。

留学時代、私は人文地理学という分野を専攻していた。その地の特徴を活かし、ここではどのようなヒトが、文明が、文化が、おこっていったのかその特徴を研究し比較するものだ。
しかし運悪く入学から3か月ほど経った頃に世界規模でコロナ騒動が起きてしまい、緊急帰国を余儀なくされた。これからの生活の事を考え高い学費を払っての時差アリのオンライン授業での通学を断念し、中退後そのまま就職した。
期待に胸を躍らせた研究の入り口に立った状態でその扉は閉められてしまったのだ。しかし大学といっても好きな分野だけを集中して学び続けることはできまい。短い留学経験は少なからず自分の為になったし、逆に贅沢な経験値取得の機会だったように思う。
私は自身の趣味の範囲で、このように学生の真似事のような研究をするのが好きらしい。
昔からそうだ。目にした知識や分野にすぐに影響される。こうして趣味の枠を広げていっている。
今回は過去何かに影響されて買った美術の本や、学生の時触れたタロット占いの知識がここで結ばれた。
そう、私は影響されやすいのだ。
今回の記事の文体だって、このような堅い感じと一人称の「私」は完全に飛鳥部作品を連続で読破した影響だ。カッコいい文が書ける気がするからもう少し続けさせて。
何ならさっき3冊目の『バラバの方を』を読み終わった。勢いでそのままこの記事を書いている。
先程の話に戻るが、例の女子大生から紹介された『卒業のための犯罪プラン』の登場人物の「小さな違いがわかる人は幸福である」「その小さな違いや変化、差を作るのが上手い人は豊かに感じやすい」という主張に則ると、私がこうして部屋で本を読む変化のない日々を続けているのにも関わらず、ある程度満喫した日々を感じられているというわけにも納得できる。側から見れば変化こそないが、読書で得る知識と刺激は毎度変わってくるのだ。
どうやら私は読書を通して一種の現実逃避状態に陥り、そこで拾って来た知識を現実の行動目標に繋げているようなのだ。
いわば読書は私を突き動かす動力であり、実生活に豊かな彩りをもたらす画材なのだ。
実際、プレイしたゲームのキャンペーン企画でしおりをゲットしようと秋葉原へ向かい、飛鳥部勝則の小説を発見し、図像学を知り、図書館で占いと組み合わせた調べ物までした。
気付けば冒頭で述べたような不安の塊はどこにもなくなっている。
そうだ。
この先の運命だとか、将来への不安だとかを消し飛ばす強烈な現実逃避こそ、私が読書体験に求める形であるのだ。
(私がビジネス書や自己啓発本を一切読まないのにはこういう理由がある)
小説でなくてもいい。一瞬でも不安の種を忘れる事ができる何かに没頭するのだ。
そしてふと我に帰った時、脳内で浸っていた世界で得た知識を実生活で昇華できるような、己を突き動かすものにできた時、その知識との出会いは新たな原動力として生活を豊かにする趣味の種になると思う。
梶井基次郎の『檸檬』と同じだ。
始終私の心を壓へつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んで来たと見えて、私は街の上で非常に幸福であった。あんなに執拗かった憂鬱が、そんなものの一顆 で紛らされる───あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。
あの主人公を押さえつけていた得体の知れない不吉な塊を解消する鍵になったのは店で出会った1つの檸檬だった。
日常に散らばる無数の可能性との出会いこそ、自分を幸福へと導く鍵なのかも知れない。
試しに主人公と同じく今月読んだ本を無造作に積み重ね、そのてっぺんに檸檬を置いてみた。良い。これをサムネイルにしよう。
今回の図書館での調べ物ように、退屈を吹き飛ばすきっかけを掴めるのならば、部屋での読書も捨てたものじゃない。あれからというもの、かつての趣味であったタロット占いと油絵の意欲が増して来た。いつかまた菓子作りの情熱も増してくるかも知れない。
まだまだ動けるうちは多くのことに触れ、自分の世界を広げてゆくのが今できる事であり人生を謳歌する近道でもある気がする。
結婚した後輩からメッセージが返って来た。
「飲みでも飯でもゴルフでも釣りでも何でも行きましょう!」
あいにく私はゴルフも釣りもやらないが……これを機に、とも思った。