じゃねーぞ殺すぞ
公共の場で、ましてや人の目の前でイチャつくな
◇事件編◇
7月最初の日曜日は朝だと言うのに人の往来が激しい。
さすが夏、これから陽のパワーを持った人たちが活発になっていく季節だろう。陰のエネルギーを持つ俺には苦しい時期だ。
今日は朝から埼玉方面に予定があった為、珍しく午前中から外出している。
押上始発の半蔵門線に乗ってみるとお出かけの人や外国人観光客でほとんど席は埋まっていた。仕方なく人の少なそうな弱冷房車に入ると運良く端っこの席がポツンと1つ空いていたので(ラッキー!)と場所を確保し、出発までゆったり読書タイムと洒落込む。
最近電車内ではノイズキャンセリングイヤホンでBGMをかけながら本を読むのにハマっている。グリーン車でも無い限り、やはり雑音・騒音が気になる。
列車は問題なく発車し、集中して読書をしていたのも束の間、次の駅【錦糸町】にてハイテンションな女性が乗車してきた。ノイズキャンセリング機能により何を言っているのかは分からないが、とにかく動きがうるさい。
しかもどうやら俺の隣に座るスーツの男と知り合いらしい。正対の位置からベタベタと身体を触ったり手を繋いだりしている。
だめだ。気が散る。読書に集中できない。他所でやるならいいが目の前でやらないでくれ。
この混雑の中せっかく端っこの席に座れたというのに。
俺は本を閉じ、ノイズキャンセリング機能をオフにした。読書には集中できなかったが席を譲るつもりは無い。この人たちが公共の場で何をそんなキャッキャしてるのか聞いてみたいのでBGMを切ってみる。
しかし特に会話という会話はなく、じっと見つめあったり手をベタベタ触りあっているだけだった。途中「乗り換え無しで楽だね♡」みたいなことを言ってたけどすぐにまたいちゃつき始めた。渋谷でも行くのか?
などと虚空を見つめて揺られていると自分の降車駅が近づいてきた。俺は再びノイズキャンセリング機能をONにして立ち上がる。到着まではまだ少し早いが、ほらよ。早めに席を空けてやるから隣同士渋谷までイチャつくがいいわ。
しかし俺がその席から離れても女はそこに座らず立ったままだった。
な、なんだぁ…?
せっかくの俺の気遣いを………このまま渋谷まで立ってる気か?
え、あれもしかして俺の座ったあとの席はイヤ…だった…?
もしかして汗、とか?
俺はこの時ノイズキャンセリング機能をONにしていたことを幸運に思った。
もし背後から
「空いたよ、座りなよ♡」
「いやー、なんか汗臭いしやめとく♡」
なんて聞こえてきたらその場で光の粒となって消えていたかもしれない。
俺は水天宮前に到着すると一目散に降車しギャッツビーを買いに走った。
◇
「そして、今に至る」
埼玉県、某駅にて合流した指原(仮)さんとコメダ珈琲にてモーニングを注文しながら今日起きた不可解な出来事を共有する。
今日の予定とはそう、コメダである。
指原から資格の勉強だかで「朝からやる気満々、カフェで勉強するので是非ご一緒に」とお誘いを受けたのだ。
机にはテキストやら筆記用具やらが広げられていて、そのやる気が伝わってくる。
朝食時は流石に「勉強集中!」とはいかないだろうから雑談程度に「どう思う?」と軽く聞いてみた。
「まあ確かに1番端の席なら座らない理由はないかも。隣の席は知ってる人なんだし」
そうだよなぁ
「心配している通り、よほど汗臭かったとか?笑」
それはないと信じたい…ちなみに今は爽やかなピーチの香りだ
「てか乗り換えの時にわざわざギャツビー買いに行ってんの笑」
「いや、俺の定期は半蔵門線【水天宮前】から日比谷線【人形町】へ乗り換える時に地上に出る必要があるんだよ。買いに行くのは手間じゃない」
「なんかめんどくさいルートだね」
「でも秋葉原も定期圏内だし、慣れればそこまで苦でもなくなった」
ふーん、と指原。
「でも場所が『弱冷房車』だったんだから、臭いとまではいかなくても女側はそういう汗とか気にしてた可能性あるよね」
たしかに、今回は『弱冷房車に乗っていた』という前提がある為そこを無視することはできない。
「でもその場合、先に乗った男はあらかじめ女性が気にするような弱冷房車両に座らないんじゃない?」
「空いてなかった…それか男はそこまで考えていなかった…とか?」
んんー、弱冷房車の件は答えが出なさそうだ。
「そこまで重大な事件じゃないけど、元探偵サンの推理は見てみたいよねぇ」
う〜ん
そうだね、朝から頭の体操と行こうかなぁ
◇推理編◇
しかしここのコメダは朝っぱらから激混みだ。指原は到着前に近くのカフェ何件か電話して混雑状況を確認したらしい。なんとかボックス席に座れたが入り口には待機のお客さまも、ちらほら。
注文したモーニングセットが来るまでまだ時間がかかるだろう。
さて…現実世界の探偵が推理するかどうかは別、として
ここはカッコよく見せるポイントだとばかりに情報を整理していく。
推理、というか観察力をフルに使ってまとめてみると、3つの道筋が立てられる。
①何を知ってるか
②何を知らないか
③何を知りたいか
順番に見ていく。
まずは①何を知ってるか
ザッと並べてみると
場所は押上始発の半蔵門線(弱冷房車)
車内は混雑していた
女は錦糸町から乗ってきた
スキンシップが激しい
ヒラヒラな服(ドレス?)を着ている
周りの目を気にしていない
妙に猫撫で声「乗り換えなしで楽だね♡」
長く会っていなかったような勢いの、ものすごいイチャイチャ(動きだけで読書を中断させるほどに!)
男はスーツ姿(休日遅めの出勤 or 夜勤明け?)
男は押上から乗っている
女は空いた端っこの席に座らなかった
こんなところか。
続いて②何を知らないか
2人の関係性
2人の職業
どこへ向かっているのか
まぁいろいろあるけど、とりあえずこんなもん。
最後に③何を知りたいか
なぜ空いた端っこの席に座らなかったのか
もちろん急に③の解答が出てくるはずはない。まずは知らないことについて推理していく必要がある。
「ところで、2人の関係はなんだろう」
「カップルには見えなかったん?」
「なんというか、温度差がね…」
女性は乗車して相手を見つけるや否やハイテンションになっていた。対して男は冷静に手を握っていた。なんつーか、秋葉原でよく見るコンカフェ嬢とオタクみたいなテンション差だ(経験談)
とりあえず解が出なそうなので後回しにする。
「職業も流石にわからなそうじゃない?そもそも日曜日だし」
「でも男性はスーツ、女性は華やかな衣装っていう情報があるから仮定はできそう…例えば、コンカフェ嬢と、スタッフとか」
お、これは奇しくも2人の関係まで含む解だ。となると、「どこへ向かっているのか」にも繋がってくる!
「秋葉原だ!」
「いやそれは違くない?」
言ってから俺も思った。ナイス反論。
「だってあんたがノイズキャンセリングをオフにした時『乗り換えなしで楽だね♡』って女が言ってるんでしょ。なら半蔵門線上の駅に決まってない?」
ごもっともだ。わざわざ地上乗り換えをして日比谷線から秋葉原に向かうとは思えない。俺の定期ルートじゃあるまいし。
「そうだね、もし目的地が秋葉原なら錦糸町から総武線で3駅。合流はどう考えても半蔵門線の車内ではなく、女性がいた錦糸町にすべきだな」
「それな」
よって、目的地は秋葉原ではないし、コンカフェ嬢でもないかもしれない。
ここでモーニングセットが運ばれてくる。
◇
「でもさ、そこそこ人の乗ってる車両で不自然に端っこの席が空いてたのも、今思うと次の駅から乗ってくる女の為に自分はあえて座らずに隣に座ってたのかもね」
「ま、自由席だしそんな事情知らんからどっかり座ったけど」
どでかいモーニングセットを前にガハハとご機嫌な俺氏。
「だから気遣いのできる人である可能性出てきたし、男が弱冷房車に先に座ったのも、特に女性は嫌がるような問題では無かったと見ていいね」
それを貫通する汗臭さが原因で女性が立ったままだったら泣いちゃうけどね。
「いやでも私が男なら、すきぴが乗ってきた瞬間ソッコー席変わるから気遣いは出来ない人だな」
だそうですよ、男性の皆さん。
「ていうか相変わらず混んでるなぁ」
「ここら辺の人たちってば、み〜んな朝からカフェ行くんだよね」
まだ9時40分とかだよ?み〜んなすごいな
「押上もそうだった。7月になった途端みんな活発になっちゃってさ。7月最初の日曜で浮かれてんだわ」
そこで指原の動きが止まる。
「あー………ん?」
「ん?」
そして指原はスマホの画面を確認する。
「なるほどね!」
◇
「何?」
「今日は日曜日だね」
「うん」
「7月最初だね」
「うん」
「何月何日?」
……
「あ」
2024年の7月最初の日曜日は7日。
7月7日。七夕の日だ。
7月だからって浮かれすぎじゃ無いか?とは思っていたが、理由はそこではなかったらしい。
今日は七夕、どこかあちこちで七夕祭りが開催されていてもおかしくは無い。
みんな活動時間が早かったのは、そこに向かう為か。
そして、あの2人も。
こうなってくれば話は早い。
「半蔵門線上で催されてる七夕イベントを探せばいい」
それが目的地だ。
「半蔵門線上ではいくつか七夕イベントやってるけど……」
と指原はイベント検索結果の画面を俺に見せてくる。
…それを見てヒントが全て繋がった。
目的地の謎もそうだが、これで1番欲しかった答えまで辿り着けた。
よかった、俺は汗臭くなかったようだ。
◇解決編◇
指原の画面には七夕イベントの情報がいくつか掲載されている。
その中で半蔵門線内のものは
「スカイツリータウンの七夕イベント」「フォトスポット『七夕ディスプレイ』」「七夕ゆかた祭り」に絞られる。
スカイツリータウンのイベントは押上(始発駅)なのでとっくに通り過ぎているから除外できる。
では「フォトスポット」か「ゆかた祭り」か。
ここで①何を知っているかの情報に戻ってみよう。
2人の服装はどうだったか。
女はドレスのようなヒラヒラな衣装を着ていたはずだ。
そんな格好で浴衣衣装に着替えるイベントに参加するとはあまり考えられない。
比べて「フォトスポット」へ向かう衣装と考えるとある程度納得できる。
よって目的地はフォトスポット……と決めつけるのはまだ早計である。
普通にイベント関係なく渋谷に行ってる可能性すらあるし、それに……
一番知りたい謎にも繋がっているように感じるのだ。
もう少し裏付けが欲しい。
注目すべきはフォトスポットイベントの開催地だ。
「指原、フォトスポットはどこで開催されてる?」
「ロイヤルパークホテルのメインロビー、最寄り駅は【水天宮前】……あっ」
ビンゴ!
「そう。つまりあの2人は渋谷に向かっていたわけではなく、俺と同じ駅で降車していたんだ」
ちょうど降りる駅で席が空いたとしても普通は座らない。ましてやドレスを身に纏ってるなら尚更だ。
────だから女は席が空いても、座らなかった。
◇
「なんで気づかなかったんよ、一緒に降りたんなら」
「降りる時俺は一目散に駆けてギャツビー買いに行ったからね」
「後ろから『着いたね♡』みたいな声くらい聞こえなかったの?」
「その時はノイズキャンセリング機能がONだったんだよ」
「あ…」
これは現実の話であってミステリ小説の話ではない。全部が全部伏線として回収はされなくても推理や妄想である程度の筋道が立てられる。
まあ、単純にそれっぽい答えに辿り着けたってだけで全部空想の結果に過ぎないけど。
にしても、
気持ちィ〜〜〜〜!!😁
◇◇◇◇
「なるほど、フォトスポットねー」
「実際行ったかどうかは別として、なかなか綺麗な筋道は立てられたんじゃ無い?」
錦糸町から乗ってきて再開した瞬間のイチャつき具合を見ると数年ぶりとかにあったんじゃ無いか、とか思う。
まるで織姫と彦星だな……なんて考えてると指原は
「でもフォトスポットなら納得。あの男の人は撮影係だったワケね」
「撮影係て…2人で仲良く撮るんでしょうよ」
「いやぁ〜映える写真は1人で撮れないからね。女の方はインスタ用に綺麗な写真撮りに行ったんじゃない?男はオマケ」
「えぇ~オマケ??あんなにいちゃついてたのに?」
「テキトーにキャッキャしときゃ付いてきてくれるモンでしょ、一部のそういう男は」
へぇ…そういうものなのか
「そういうのは、推理力関係なく分からなそうだ」
それに対し指原は意味ありげに微笑んだ。
「じゃあそれを踏まえて……今日なんかはどう思う?」
…なんだと?
今日というのは、今の話か?
まっすぐ目を見つめ微笑む指原。
何か本能がざわついている。
今、彼女は間違いなく俺の観察眼を試している。
静かにあたりを見渡す。
店内は朝だというのに相変わらず混雑している。
いつのまにかモーニングセットの皿は片付けられていた。
代わりに目の前の机には資料、ノート、ペンが広げられている。
引っかかるのは先ほどの指原の言葉『男はオマケ』…
………フンフンなるほどね。
これもまた推理により導き出された空想の結果である為、あえて答え合わせはしない。が。
…おひとり様のご案内だと混雑時は通されにくいんだね。
勉強するなら広い方がいい。
つまり彼女もまた、「ボックス席を使いたかったから」俺を呼んだのだ。